東京を22:00に出港する本船は金曜、土曜発便のみ23:30分に横浜港も経由する。先日(1998年11月27日および1999年1月3日)、横浜港より伊豆大島まで本船に乗船する機会があったので、レポートを公開したいと思う。
横浜港は大桟橋から本船は発着する。本船の主要目は総トン数:4,965t、全長:120.54m、幅:15.20m、深さ6.30m、喫水:5.40m。最大速力:20.0ノット、定員:1,920名、馬力:5,600ps×2基。お世辞にも豪華な船容とはいえない。
しかし、本船は4室ある特等船室にはベランダを完備している。ただ残念ながらそれ以外のパブリックスペース、2等船室などは「狭い」の一言に尽きる。生活航路であるだけに仕方ないのかもしれないが、最近の新造船では珍しく通路の幅が非常に狭く、海をみながらくつろぐためのスペースがほぼないはクルーズファンにとってはとても悲しい。
当日の横浜港出発は、停泊していた豪華客船「飛鳥」のすぐ後ろからとなった。192.5mある巨大な「飛鳥」を横目に通り過ぎ、「さるびあ丸」に乗船した。船内にはいるとエントランスに出る。残念ながらホール、もしくはロビーというには物足りない狭い空間である。とりわけ週末は乗船客が多いのでますますそう感じたのかもしれない。その右側にインフォメーションデスクがある。ただしマリンスチュワーデスたちの醸し出すさわやかな雰囲気ではなく、どちらかゆうとjrの「みどりの窓口」を思い出すいかにも事務的な雰囲気がここにある。その横のtvモニターではおそらく簡単なwindowsプログラムで作成されたであろう東海汽船のスクリーンセーバーは放映されている。この案内プログラムにより本船の現在位置表示、キャビン案内、各島の案内などが表示される。
特等b室は基本的に4人部屋の海際の部屋で通常のフェリーでいうと1等もしくは2等寝台に相当、4室だけある特等a室がいわば通常フェリーの特等室であり、これにはベランダもついている。
船は23:50分頃、ベイブリッジを通過、東京湾に出た。外部デッキはかなり水面に近いところまでいける。真っ暗闇の中、ひたすら東京湾を南西に向かう船のたてる波が印象的だった。(なお、平日横浜港に寄港しない「東京~伊豆七島」航路は、東京を22:00に出航後、羽田沖で22:40分ころから時間調整のためしばらく仮泊する。さらに大島入港前にも(冬の時期には岡田港が多い)大島沖で仮泊する。)
本船は1991年竣工のまだ比較的新しい船である。船自体は新しいのだが基本コンセプトはやはり生活航路船というのが正しいだろう。目的からして仕方ないのかもしれないが、後部の露天甲板を短くし、そのかわりに、せめて広く開放的なエントランスホール兼レストランを設けてみるのはいかがだろう。是非次回の新造船には期待したいものである。
ただ乗船したとき、本船の船尾は何かに大きく衝突したらしく大きくへこんでいた。喫水より僅か1m前後上の位置である。穴はあいていなかったもののかなりその衝撃が大きかったことを物語る大きな傷跡である。修理せずに(もちろん塗装はし直してあるようだが)航路に就航していることを考えるとそれほど前のことではないのではなかろうか?
なお「さるびあ丸」、「かとれあ丸」は就航時点では「さるびあ丸 2」、「かとれあ丸 2」として就航したが、1998年秋、もともとの「さるびあ丸」、「かとれあ丸」が引退したため、船名を変更末尾の「2」を削除した。なお、東京~伊豆七島航路には「さるびあ丸」のほか、繁忙期には「かめりあ丸」も就航する。
東海汽船は、伊豆大島が1987年の噴火で大きな被害を受けたとき、救援船を進んで提供した人道的な企業だ。また島と本土を結んでいる唯一の定期航路でもある。このように島とは共存している東海汽船だが、今度の新造船では展望ラウンジ、快適なパブリックスペース、できれば「展望浴場」なども意識して、もう少し旅客重視の船を造ってほしいと思った。大島岡田港の拡張工事も進んでいるらしい。今度の新造船は佐渡汽船のようにドカッと1万トンを越えるフェリーを就航させるとか・・・。
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