写真・文:idyllicocean
時代の波にのまれ月日が経つにつれ、同船のもっていた輝かしい船容も、華々しい船内施設も徐々に色褪せてしまった感もありますが、以前に乗船した<東京・高知>間の航海の様子を振り返りながら、同船の様子を再度まとめてみました。
東京港に停泊中の「さんふらわあとさ」。東京港は奇数日出港、フェリー南ターミナルから発着、上空に羽田空港に降りる飛行機が飛び交う中、巨体をフェリーターミナルの岸壁につけていました。ターミナルにつくと二階の待合室から大きな同船の船体が窓いっぱいに広がっており、これから始まる船旅に期待も高まったものです。乗船するのは徒歩客に加え、四国ゆきトラックの類も多く、船に近づくのも危険なほどトラックやトレーラーが行き通っていました。
乗船手続きは出航時刻18:40分の2時間前から可能で、乗船すると船内では「さんふらわあの唄」が終始流れています。ときおりアナウンスが入り、レストランが利用可能である旨、案内されていました。出航するとすぐに日が暮れてしまいます。東京湾をゆき、浦賀水道に入る手前でキャプテンからのアナウンス、乗船の御礼と、当日の波浪状況、航海の見通しが伝えられます。
那智勝浦港に近づくと、小さな小島が散在しているため、全長185メートルもあるこの船を操り、小島を避けながら入港するのはさぞかしスキルが要求されることだろうと感じます。台風や低気圧などが近づいていると、とりわけ深夜入出港となる上り便において那智勝浦港は抜港になることがあるようです。 写真を撮影した日は生憎の雨で、肌寒い中での入港となりました。 |
停泊時間が20分と短いので、一時下船して船体の写真を撮ることは基本的に認められませんでした。 大きな朱色のファンネルの奥に紀伊半島の緑が見えます。 |
プールは海水を満たしたもので船の揺れに応じて激しく波だちます。大人用と子供用の二種類のプールがありますが、利用しているのはほとんど子供たちでした。 プールを利用すると、後部デッキに着替える場所がないため、水着で船内を歩くことになり不便です。プールサイドにあるシャワーは水の出がいまひとつでした。 |
桂浜といえば五色石や、坂本龍馬で有名なところですが、これら有名な観光地のすぐ脇をとおって「とさ」は浦戸湾に向かっていきます。ここからは高知までの最終レグになります。 考えてみると、「とさ」の航路は航海士泣かせの航路でしたね。世界でも有数の海上交通往来の激しい浦賀水道、太平洋に面し、狭く波の高い那智勝浦港、そして曲がりくねった浦戸湾。 安全航海で24年間よく航行してくれました。 |
浦戸大橋は、水面からの高さ50メートル、全長1480メートルもの長い橋で、建設当時はコンクリート製の橋として最長だったようです。 この橋が完成するまで、両岸への移動手段は県営渡船を利用するか、高知市内まで入りこんだ浦戸湾を大きく迂回するかのどちらかでした。歩道もあったようですが「さんふらわあとさ」が運行されていた時代は有料だったようです。 |
ここから高知港フェリーターミナルまでは約30分程の航海、皆、思い思いに船旅の最終部分を楽しんでいることでしょう。この浦戸湾は非常に狭い航海の難所が数箇所あり、堤防の向こう側には民家もたくさん見えます。毎日の生活の中で「とさ」のような大型船が通過していく姿をどのような思いで眺めていたのでしょうか? |
15時40分、定刻に「とさ」は高知港に着岸しました。ここから高知駅まではタクシーで15分程、徒歩なら市電の「桟橋通五丁目」駅が最寄になります。 高知港に到着して暫くすると、ターミナルでは折り返し17時50分発、勝浦経由東京行きの乗船手続きが始まっていました。そして「とさ」は約2時間強後に、東京行きとして再度太平洋に出て行きます。 |
その後、暫くの間はマリンエキスプレスの<川崎・宮崎>航路、<川崎・日向>航路において、「パシフィックエキスプレス」、「フェニックスエキスプレス」が、那智勝浦・高知に交替で寄港し、南四国、南紀と関東の物流を肩代わりしていましたが、これもついに廃止。結局、関東地方から四国を結ぶ航路はオーシャン東九フェリー(2011年現在オーシャントランス)のみとなってしまいしました。この間に高速道路無料化、ブルーハイウェイライン解散、商船三井フェリー設立・そして2011年3月の震災といろいろな出来事が起こりましたが、長距離フェリーがもう一度花咲く日が来ることを願っています。船内の写真などもあったはずなのですが、未だ整理できておらず折をみて船内の様子も公開したいと思います。
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