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ブルーハイウェイライン社史 後編

写真・文:idyllicocean

6. 「さんふらわあ」SIX SISTERS
 1990 年、日本高速フェリーから「大阪~志布志~鹿児島」航路の営業圏を取得したのを景気に、株式会社ブルーハイウェイラインは旅客フェリーすべての船名をすべて「さんふらわあ」を関したものに変更した。これは日本沿海フェリーが「さんふらわあ」を所有するようになる以前から、広く一般に知れ渡っていた「さんふらわあ」商標を用いることにより、より一層のイメージアップを図り、利用者に親しまれるものにしようというのが狙いであった。
 船名は「さんふらわあ」+地名の形で統一され、1991年1月から9月にかけて各船の入梁時期に合わせて船体に大きく「さんふらわあ」マークが描かれ、ファンネルマークも順次、商船三井と同様のオレンジカラーに統一された。これをもって「さんふらわあ SIX SISTERS」が誕生した。「さんふらわあ SIX SISTERS」の各船は下記の通りである。
 船内では、日本高速フェリー時代に作曲された「さんふらわあの唄」などがそのまま使用され、同社がこれまで運行していたすべての旅客フェリーが「さんふらわあ」サービスを提供するようになった。
さんふらわあ えりも (えりも丸)
さんふらわあ さっぽろ (さっぽろ丸)
さんふらわあ おおあらい (おおあらい丸)
さんふらわあ とさ (さんふらわあ8) 日本高速フェリーより譲渡
さんふらわあ おおさか (さんふらわあ5) 日本高速フェリーより譲渡
さんふらわあ さつま (さんふらわあ11) 日本高速フェリーより譲渡


さんふらわあ えりも
7. 船隊の整備-3隻の新造フェリー
 1989 年に「さんふらわあ えりも」(えりも丸)が就航した頃から、ブルーハイウェイラインがこれまで運行していた1974年建造の「さんふらわあ さっぽろ」(さっぽろ丸)の客室部分の古さが目立つようになってきた。このため同社は同レベルのサービス体制を維持すべく1990年2月、「さんふらわあ さっぽろ」の客室・公室部分を大幅に改装した。
 これに加え、日本高速フェリーから譲渡された「大阪~志布志~鹿児島」航路に関しては、まず「さんふらわあ おおさか」(さんふらわあ5)と「さんふらわあ さつま」(さんふらわあ11)の両船を1992年5月、代替建造することを決定した。またさらにこの年の11月「大洗~苫小牧」航路の増配の許可を得て新たに同一機種・大型新造船の建造を決定、3隻とも三菱重工下関造船所に発注された。
 第1船である新造「さんふらわあ さつま」は1993年3月に、第2船である「さんふらわあ きりしま」は1993年8月にそれぞれ竣工し、これまで長い間、大阪航路に就航していた前代「さんふらわあ さつま」(さんふらわあ11)」は1993年4月、フィリピンの「スルピシオライン」に、「さんふらわあ おおさか」(さんふらわあ5)は1993年8月、おなじくフィリピンの「WG & Aシッピング」社にそれぞれ売船され、船名はそれぞれ「プリンセス・オブ・ジ・オリエント」、「スーパーフェリー10」と改名*された。この時の両船の売船益約23億8,000万円は、その後のトラック部門進出をはじめ、経営の進展に大きな役割を果たした。
 さて1993年には待望の大洗航路第2船「さんふらわあ みと」も就航した。本船の就航により「大洗~苫小牧」航路は「さんふらわあ おおあらい」とランニングメイトをくみ、待望のデイリーサービス(日曜を除く)がスタートした。
 これにより、ブルーハイウェイラインの旅客フェリーの船隊は7隻の「さんふらわあ」に増強された。
* フィリピンの「スルピシオライン」と「WG & Aシッピング」にそれぞれ売船された旧「さんふらわあ さつま」と「さんふらわあ おおさか」は、両船ともフィリピンのマニラからセブを結ぶ航路に就航した。ところが、「プリンセス・オブ・ジ・オリエント」こと旧「さんふらわあ11」は1998年9月19日未明、台風直下のマニラ沖で高波を受けて沈没、「スーパーフェリー10」こと旧「さんふらわあ5」も2000年になって、火災事故を起こしている。フィリピンの船会社の安全基準はどうなっているのかと疑わしい事故である。

8. 「さんふらわあ くろしお」就航 新東京航路
第一次船隊整備により、新「さんふらわあ さつま」、「さんふらわあ きりしま」、「さんふらわあ みと」がそれぞれ建造されたが、「東京~那智勝浦~高知」航路に就航していた「さんふらわあ とさ」(旧「さんふらわあ8」)の老朽化も否めない事実となっていた。
 それでブルーハイウェイラインは「さんふらわあ とさ」の代船として、三菱重工下関工場にて「さんふらわあ くろしお」建造する旨を決定した。総トン数約9,800トンと前代就航船の「さんふらわあ とさ」に比べると多少コンパクトになったが「浴衣でくつろげる和風旅館」を船内テーマとし個室が大幅に増強された。この「さんふらわあ くろしお」は1997年7月1日より「さんふらわあ とさ」に代わって「東京~那智勝浦~高知」航路に就航した。
 また、1997年4月には、旅客需要の比較的多い「東京~苫小牧」航路と繁忙期以外の利用の少ない「大阪~志布志」航路との均衡を保つため、大阪航路に就航中だった「さんふらわあ さつま」と「さんふらわあきりしま」が、「東京~苫小牧」航路に就航している「さんふらわあえりも」および「さんふらわあさっぽろ」と配船チェンジされた。それで「さつま」や「きりしま」といった名の付いた船が北海道で、また「えりも」や「さっぽろ」の名の付いた船が九州で見られるといったおもしろいことが生じることになった。この2隻の新造船の投入により、同社の「東京~苫小牧」航路の旅客サービスは大幅にグレードアップされた。交替は1997年4月13日の「さんふらわあ さつま」から行い、07月 05日の「さんふらわあ きりしま」の北海道航路への就航を持って終了した。
 加えて1997年秋には、「東京~苫小牧」航路に就航している「さんふらわあ さつま」および「さんふらわあ きりしま」が全便大洗港にも寄港するようになり、事実上、新航路「東京~大洗~苫小牧」航路がスタートした。これは、従来より就航していた夜発の「さんふらわあ つくば」、「さんふらわあ みと」クラスでも積み残しの出るほどの貨物が大洗港にて取り扱われるようになったため。これにより<大洗/苫小牧>航路は従来の夜発便(SFみと,SFおおあらい)に加えて朝発便(10:25発)が誕生し、さらにタイムリーな輸送サービスが提供できることになった。また<東京/大洗>間の区間乗船も可能になるため、ワンナイトクルーズの企画なども積極的に行われた。

9. 「さんふらわあ つくば」就航 新東京航路廃止
 1998年01月29日、<大洗/苫小牧>航路にも、新たな新造船「さんふらわあ つくば」が三菱重工下関工場にて建造され、就航した。本船の船名は、茨城県民を対象に公募により決定された。「さんふらわあ つくば」は、現時点でのブルーハイウェイライン社フェリーの中で最大の全長を誇り、船内インテリアは北欧の国、フィンランドをテーマに豊富に木材を用いてデザインされている。
 「さんふらわあ つくば」の就航により、以前から「大洗/苫小牧」航路に就航していた「さんふらわあ おおあらい」は、「大阪/志布志」航路に就航していた「さんふらわあ さっぽろ」と交代し、<大洗/苫小牧>航路は「さんふらわあみと」と今回就航した「さんふらわあ つくば」での新造船2隻体制となった。「さんふらわあ さっぽろ」はその後、海外売船された。
 一方、1997年、期待と共に開設された新東京航路(東京~大洗~苫小牧)だったが、「東京~大洗」間の旅客乗船は少なく、加えて高速道路が整備され利用しやすくなったこともあって、貨物流通の流れは東京発着よりも大洗発着に流れていった。それにくわえ東京発着は房総半島を一周するのに約7時間ものロスタイムがかかってしまい、燃料消費や輸送の効率から見ても芳しくないことが明らかになってきた。
 それに加え、折からの不況により、輸送物資も少なくなり、航路の最適化は必死の課題になった。現に「東京~釧路」にクルージングフェリー「サブリナ」、「ブルーゼファー」を運行していた近海郵船も「東京~釧路」間をROROフェリーによる輸送に変更し、しだいに北海道航路の東京発着はロスが目立つようになってきた。
 それで1999年4月、「東京~大洗~苫小牧」航路の「東京~大洗」部分が休止になり、首都圏からの貨物は大洗から乗船するようになった。これに伴い、大阪航路に配船変更されていた「さんふらわあ おおあらい」、「さんふらわあ えりも」が北航路に復帰することになり、新東京航路に就航していた「さんふらわあ さつま」と「さんふらわあ きりしま」も大阪ベースのホームグラウンドに戻った。
 これにより、30年近く続いた「東京~苫小牧」航路の旅客フェリー運行はその営業にいったん幕を閉じた。

10. 「さんふらわあ とまこまい」就航~まとめ
1999年4月をもって幕を閉じた「東京~苫小牧」航路の旅客営業だが、貨物フェリーの営業は終了したわけではなかった。ブルーハイウェイラインは、新造超高速貨物フェリーを三菱重工下関で建造し、房総半島一周のハンディを受けてたつことにした。新造船は30ノットもの超高速で航海し、全長も大洗航路に就航している「さんふらわあ つくば」よりさらに7M長い199Mとした。
 新造高速貨物フェリーの船名は、貨物フェリーながら異例なこととして「さんふらわあ」の名を冠し、「さんふらわあとまこまい」とされ、同船は川崎近海汽船「ほっかいどう丸」とコンビを組んで「東京~苫小牧」間を20時間30分で結ぶ。「さんふらわあ とまこまい」は1999年9月より就航し、海上輸送の新たな形を提案した。ただし同船は貨物フェリーであるため、基本的に旅客の扱いは行っていない。
 それに加え、ブルーハイウェイラインは2000年より、「大阪~志布志」航路に就航中の「さんふらわあ さつま」、「さんふらわあ きりしま」の運行を委託するため、完全子会社であるブルーハイウェイライン西日本を設立した。これにより、ブルーハイウェイライン本体の会社規模縮小が出来るだけでなく、より地元のニーズにあった効率的な輸送が提供できることになる。
 以上、ブルーハイウェイライン、およびそれに関係するフェリー各社の略歴史を紹介したが、楽しんでいただけただろうか?ご覧になってお気づきのようにフェリー各社は試行錯誤しながら、安全かつ効率的な輸送をめざし日夜努力を続けている。これらの定期フェリー航路をうまく利用することで、安価なミニクルーズが楽しめることはもちろん、これらフェリー航路の存続を助けることにもなる。
 今一度、飛行機や速い新幹線を使った旅だけでなく、ゆったりのんびりくつろげるフェリーの旅を見直してみるのはどうだろうか?そこにはゆったりした、くつろぎのある美しい時間が今も流れている。

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